こんにちは、山岸一生(やまぎし いっせい)です

 こんにちは、山岸一生(やまぎし いっせい)です。

 朝日新聞の記者として15年間、様々な方のお話を伺ってきました。

 私にとって記者は、丁寧にひとの話を聞き、事実を拾い集め、一緒になって考える、そんな社会とのかかわり方そのものでした。

 ひとの話を聞くこと、事実を知ること、それを伝え、一緒に考えること。

 これが私、山岸一生です。

「恋する少女」

 今でも忘れられないのが、10年以上前に勤務した京都での取材体験です。

 伺ったのは80代の女性の自宅。

 太平洋戦争中にフィリピンで戦死した夫が、戦地に行っても送り続けていたはがきを、60年ぶりに読み返し、戦争体験を語り始めた彼女。

 畳の上で正座し、はがきを手に取って読み聞かせてくれていた彼女が、ふと言いました。

「かれはスタイルが良くて、二枚目でねえ」。

 そう言ってのろける彼女の瞳はキラキラ輝いて、「恋する少女」そのものでした。

 私は涙が止まりませんでした。恋する2人を引き裂いた、戦争への怒りだけではありません。

 黄ばんだ薄いはがきには、こう書いてありました。

「鈴ちやんのことが大好き」。

 生死を超え、60年もの時を超えて愛を伝える、言葉の力に感動したからです。

 もっとひとに話を聞きたい、伝えていきたい。

 「ひとの話を聞く」ことは、素晴らしいことです。

翁長雄志さん

 もうひとつの転機となったのは、2013年からの沖縄での勤務です。

 辺野古問題で揺れる沖縄に登場したのが、後に知事になる翁長雄志さんでした。

 どうにかして翁長さんの本音が聞きたい。

 私はひたすら翁長さんの地元の商店街の酒場に通いつめ、機会をうかがいました。

 ある晩ついに出会った翁長さんは、私を誘って居酒屋に入ると、好物のチリ産の赤ワインを飲み、こう言いました。

「僕は、殺されてもいいと思ってるよ」。

 悲壮なまでの覚悟でした。

 翁長さんの言葉には、力があった。

 言葉の力で、党派を超えて沖縄をまとめ上げた翁長さんは、政治の可能性を教えてくれました。

政治記者として

 その後東京に戻った私は、政治記者として、永田町で総理官邸や政権与党の取材を続けました。

 取材をすればするほど、永田町で飛び交う言葉がむなしく聞こえます。

 ここには戦死者もいなければ、血のにじむような苦しみもない。

 今日も官邸の密室では不透明な意思決定が繰り返され、与党は忖度ばかり、頑張らなければいけない野党は非力なまま。

 記者として目の前にいるはずなのに、すべてが自分と関係のないところで決まっている、そんな居心地の悪さばかり感じていました。

山岸一生の決意

 いまの政治は、「ひとの話を聞く」、そこから立ち直らなければいけない。

 政策の押しつけはやめ、暮らしの現実を直視し、一緒になって考える。

 この瞬間、この東京でも、永田町をほんの一歩離れれば、新橋駅の雑踏には会社の将来を嘆く、私もそうであった大勢のサラリーマンがいて、三鷹の実家には大病から生還したばかりの母の不安があり、郊外のマンションには責任感と組織のはざまで心のバランスを崩しても懸命に頑張る友人がいます。

 政治は、この声を聴いてこなかった。都合の良い数字としてしか見てこなかった。

 もっと「ボトムアップ」で、もっと開かれた永田町に変えていきましょう。

 政治を、一部の人だけのものから、あなた自身のものに。

 政治を、私たちの手に取り戻しましょう。

 記者として15年間、ひたすらにひとの話に耳を傾けてきた私にだから、やれることがある。やらなければならないことがある。

 そう決意しました。

 どうか私、山岸一生に、あなたの話を聞かせてください。

 そしてあなたの物語を、ともに歩ませてください。