2019/09/27
こんにちは、立憲民主党の、山岸一生です。
目次
今日も、昨日、一昨日に続いて、東京都江戸川区議会のネット中継を担当したことの続編を書くつもりでいました。
ですが、今日はとても見過ごせない大きなニュースがあったので、予定を変更してこのニュースについて、私、山岸一生の新聞記者時代の取材経験をふまえながら、考えを述べたいと思います。
東京都江戸川区議会のネット中継の続編の記事は、また明日以降に更新します。
東京都江戸川区議会のネット中継の記事の続きをご覧になることを楽しみにしてくださっていた方、そして、「いよいよ滝沢さんの質問です。」と振って間を置いてしまうことになる立憲民主党の仲間の東京都江戸川区議の滝沢やすこさん、申し訳ありません。
恐るべき堕落です。
関西電力、関電の八木誠会長ら首脳陣が、原発立地地域の「顔役」から裏金を受け取っていた問題。
電力会社の経営陣はここまで腐敗したのか、と思い知らされました。
2011年の原発事故の後、新聞記者をしていた時の山岸一生は、原発政策の取材をしたことは、以前にもお伝えしました。
電力会社の幹部にも、お会いしました。
福島第1原発の所長を務めた東電OBの方もいらっしゃいました。
その方は、所長時代にお世話になった方を訪ねて、避難先にお詫びに通っていることを、苦しそうな表情で語っておられました。
山岸一生が新聞記者のときに取材したのは、みなさん、責任感を持った電力マンでした。
もちろん、事故を防げなかった責任が、彼らにはあります。
ただ、電力マンとして日本を支える自負を持って働いてきた彼らを、私は、人として信頼できました。
だから正直に言って、私が新聞記者として取材する中で見てきた電力マンの姿と、裏金を「ごっつぁん」する関電の経営陣の姿が、どうしてもつながらないのです。
そんなおかしなこと、いくらなんでもやるわけがないはずなのに。
しかし、この8年間で、電力会社をめぐる環境は、大きく変わりました。
長らく地域経済の盟主であり、尊敬もされ、重責も担ってきた。
それが原発事故の後、業績は低迷し、白い目で見られ、何かあれば叩かれる。
「ちょっとぐらい、おいしい思いしてもいいじゃないか」。
こんなモラルの低下とモラールのゆるみが、起こっているのではないでしょうか。
原発が1基再稼働すれば、年間500億円の収支改善効果があると言われます。
ここから先は、私の妄想です。
経営陣も、業績が改善すれば、自分のボーナスも増えるでしょう。
そこに、世話になった顔役が「再稼働のご祝儀」とでも言って持ってきたら、「ちょっとぐらい」と、つい受け取ってしまったのかもしれない。
どうでしょうか。
経緯は、これからの検証を待たなければいけません。
私たち立憲民主党をはじめとする野党にも、国会論戦で、徹底的に事実を明らかにする責任があります。
しかし今一番恐ろしいのは、この瞬間も、関西電力では高浜3号機、大飯3,4号機がフル稼働しているということです。
ここまで堕落してしまった経営陣の下で、原発が今日も動いている。
私たちは、このような経営陣に、自分たちの命を預けているのです。
あなたはどう思いますか?
私は、ごめんです。このような人たちに、私たちの命を預けるわけにはいかない。
「個人的なことについては一切答えない」と説明拒んだ関電の八木会長。
職責上預かったんじゃなくて、「個人的」にごっつぁんしたと自白しています。
許されません。
このような経営陣に原発の安全と私たちの命をゆだねていると思うと、恐ろしい。
一刻も早く、けじめをつけてもらわなければいけません。
さらに、もし裏金が再稼働と紐づいたものだったとしたら、再稼働そのものの正当性も検証しなければなりません。
私、山岸一生は、電力会社のトップは堕落しても、電力マン(ウーマンも)の誇りを持った人たちが、まだまだいると信じます。
私は電力会社の非は追及しますが、心ある電力マン(ウーマンも)の皆さんとは手を携えながら、おかしな原発政策をただしていきたいと思います。
冒頭でも述べたように、東京都江戸川区議会のネット中継の話しの続編ではなく、今日は関西電力の裏金問題という大きなニュースについて、私、山岸一生の新聞記者時代の取材経験、そして分析と提言をお話ししました。
本当は、今日の編集後記は明るい話し、明るい小ネタを書きたいな、と思っていましたが、それも明日以降に。
今日は金曜日。
週末、お休みの方も、お仕事の方も、あなたに素敵な週末になりますように。
そして、今週は9月最後の週でした。
今週いっぱいでお仕事を変わる方、違うことを始められる方など、今週が節目になる方も多いと思います。
今日が最後の出勤だった、来週からは新生活、という方もいらっしゃると思います。
今週が節目の方にとって、新しい生活が素晴らしいものになりますように。
それでは、立憲民主党の山岸一生でした。