2022/06/21
みなさん、こんにちは。
立憲民主党、衆議院東京9区選出の山岸一生です。
私、山岸一生は、2004年に大学を卒業したとき、「新聞記者」という仕事に就きました。
新聞記者を辞めて3年がたった今でも、多くの取材先との出会いをもたらしてくれた新聞記者という仕事には、誇りと懐かしさを抱いています。
ところが「2004年時点で新聞記者(という就職)を選んだのはセンスない」というご意見を、影響力の強いインフルエンサーの方からいただきました。
この議論は、私たちの社会の在り方を考えるうえで本質的な問題なので、あえて深堀りしたいと思います。
まず、ある仕事が現在では斜陽だから、20年近く前にそれを選んだ人は「センスない」というのは、ただの後知恵です。
そしてそもそも、他者の生き方、人生の選択を「センスない」と切り捨てるのは、果たして「センスある」発言でしょうか。
2004年、労働者派遣法の改正で解禁された「製造業派遣」に就き、リーマンショックで派遣切りにあった人の歩みは「センスない」でしょうか。
幼い頃から練習を積み重ね、念願の音楽家の道を歩み始めた2020年、コロナ禍で発表の場を失い、夢をあきらめた人は「センスない」でしょうか。
「すべて自己責任だ」。
そう言い切れる人も、中にはいるのかもしれません。
でもそうした「勝ち組」が今の立場にいるのは、本当に、その人のセンスが優れていたからでしょうか。
多くの幸運や、たまたま、人からの援助、そしてなによりその人たちの商品を買ってくれた多くの人、つまり「社会」があったからではないでしょうか。
自由な競争のもとで、結果的に、成功と失敗はシビアに分かれます。
しかし、私、山岸一生は、一人一人の選択を周りが「センスない」と切り捨てるのは「違う」と思います。
選んだ道、選ばざるを得なかった道、それぞれ人生があり、事情があります。
私、山岸一生は、他者の人生を「センスない」と切り捨てるのではなく、応援し合う、支え合う社会を目指します。
もちろん、「選択」の責任は、自分が負うものです。
しかし私たちは、必要以上に自分を責めていないでしょうか。
就職先が倒産したら「自分にセンスがなかったからだ」、コロナ禍で仕事を失ったら「自分のセンスのなさが悪いんだ」…。
そうなってしまうのは、「自責」に持ち込むことで、失政をごまかそうとする政治家や、社会的負担から逃れようとする「勝ち組」が、そう仕向けてきたからでも、あったのではないでしょうか。
そろそろ、変えませんか。
明日から始まる参議院議員選挙では、私たち立憲民主党、そして、私、山岸一生は、「一人一人のかけがえのない暮らしと生き方が、とことん尊重される社会」をつくるために戦います。
もし仮に、あなたの選択が今回はうまくいかなかったとしても、「センスない」ではなく、「ナイスファイトでした。次は、こういうやり方もあります。応援します。」と声をかけることのできる社会こそ、真に活力ある社会です。
立憲民主党から参議院議員選挙で東京都選挙区から挑戦する松尾あきひろさんも、蓮舫さんも、そんな社会のために闘ってきました。
松尾あきひろさんには、あなたの力が必要です。
真に「センスある」社会のために、あなたの力をお貸しください。
立憲民主党、東京都9区選出の衆議院議員、山岸一生でした。