原発国家と山岸一生

 こんにちは、立憲民主党の、山岸一生です。

山岸一生より、お詫び

 東京都江戸川区議会のネット中継を担当したことの続編を書くつもりで、前回もそうお知らせしていました。

 しかし、関西電力の裏金問題という大きな事件があり、今日は原発について、私、山岸一生の考えを述べておくべきだと考えました。

 東京都江戸川区議会のネット中継の記事の続きをご覧になることを楽しみにしてくださっていた方、そして、「いよいよ滝沢さんの質問です。」と振るだけ振ってしばし間を置いてしまうことになった立憲民主党の仲間の東京都江戸川区議の滝沢やすこさん、今日も申し訳ありません。

 東京都江戸川区議会のネット中継の続編の記事は、また後日、必ず更新します。

山岸一生の考える「原発」

山岸一生が新聞記者時代に取材した「原発政策」

 最近、改めて原発政策の勉強をしています。

 2011年の東日本大震災後に、私は、朝日新聞の記者として、原発政策の検証にかかわりました。

 原発って、一体いつから「国策」になったんだろう。

 そんな素朴な問題意識から、取材班の下っ端でしたが、元議員や元官僚を訪ねて、日本中を走り回って取材しました。

 福島第1原発が稼働を始めたのは、1970年代です。

 ですが、日本が国家として原子力政策に着手したのは、はるかにさかのぼります。

 1954年(昭和29年)、初めて原子力関係の予算が計上されました。

 ちなみにその旗振り役が、後に首相となる中曽根康弘さんです。

 翌1955年(昭和30年)に、原子力基本法が制定され、当時の言葉でいう「核の平和利用」に、道が開かれました。

 初めて調べたとき、びっくりしました。

 そんなに早い段階から、私たちの先輩は、原発を国策として選び取っていたのです。

 実際に原発がたくさん動き出すのはそこからさらに20年後とはいえ、国家としての意思決定は、はるか以前になされていたのです。

 そう、敗戦からたった10年間で。
 ヒロシマ、ナガサキからたった10年間で、です。

 あなたはどう思いますか?

 この歴史をどう描こうか。
 取材班で議論して、こういうタイトルを付けました。

「原発国家」

 敗戦後の日本でひたすら原発を追い求めていった国家の生々しい姿に、皮肉と恐れを込めて。

山岸一生の分析と提言

 1945年から1955年という、「10年間」という期間。

 見方によれば、あれほどの悲劇を経験したのに、日本人が「のど元過ぎれば」で「核」を選ぶまでに10年しかかからなかった、とも言えます。

 あるいは逆に、国家があの手この手で国民に「核」を受け入れさせるのに、10年間はかかった、とも言えます。

 「10年間」という年月は、長すぎず、短すぎず、ひとつの必然のように思えます。

 大きな悲劇があり、各勢力のせめぎあいがあり、国民が答えを出すまでの期間。

 それが、あの10年間だった。

 5年間では、生傷がいえていない。

 だが20年間では、情勢も変わるし、世代をまたいでしまう。

 政治における「10年間」という期間の意味合いを、重く感じます。

 今や、あの原発事故から8年半。

 あと1年半で、「10年間」が過ぎようとしています。

 それなのに私たちは、まだ、きっぱりと原発と決別することはできていません。

 このまま、何となく「10年間」を迎えていいのでしょうか。

 政府のエネルギー基本計画は、2030年の原発依存度を20~22%としていますが、これを実現するだけの基数の再稼働は、不可能です。

 破綻している計画のもとで、本質的な意思決定を避けたまま「10年間」が過ぎつつある。

 もはや先送りは許されません。

 「運動」としての当初の熱気は、確かに薄れています。

 しかし一方で、さらに10年、20年、問題を先延ばしし、次の世代に負債を押し付けるわけにはいかない、と声を上げる方が増えているのも事実です。

 運動の形を山に例えれば、「標高」は下がったが「裾野」は広くなっている、そんな状態です。

 残された時間は、多くはありません。

 あれから10年間となる2021年3月。

 そこに向けて、知恵と力を結集していくべきではないでしょうか。

 私は、マスコミ的な「節目」とは違った角度から、「10年間」にこだわりたいと思います。

 「節目」ではなく、政治を動かす「潮目」として、この「10年間」を逃すわけにいかない。

 2011年3月11日が教科書の歴史になってしまう前に、私たちの同時代史である間に、「原発国家」と決別しなければいけない。

 いたずらに時間がたてば、貪欲な「原発国家」がまた、復活するでしょう。

 私たちのラストチャンスが、2021年3月です。

 私も、そこに向けて何ができるのか。動いていきたいと思います。

山岸一生の編集後記

 冒頭でも述べたように、東京都江戸川区議会のネット中継の話しの続編ではなく、今日は「原発国家」について、私、山岸一生の新聞記者時代の取材経験、そして分析と提言をお話ししました。

 ブログの本文はしっかりした記事を書いて、“編集後記”はちょっとした話し、小ネタを書きたいな、と思って試行錯誤しています。

 今日、日比谷公園の「日韓交流おまつり2019」でいただいた海鮮チヂミがとても美味しかった話し、とか。

 試行錯誤、と言えば、今日からブログのテーマカラーをライトグリーンから、立憲ブルーに変更してみました。

 いかがでしょうか。今の色のほうが立憲ブルーで良いかな、と思いつつ、皆さんが読みにくい色だな、と思わないかな、と少し悩みつつ。

 明日、9月30日で9月も終わります。
 前回のブログでも書いたように、明日から新生活、生活が変わるという方も多いと思います。

 皆さんの10月も、素晴らしいものになりますように。

 それでは、立憲民主党の山岸一生でした。